
美しいものは、時代を超える。|美しいものに、価格だけの価値を与えてはいけない。
ここ数年、ヴィンテージカーやアート、そしてヴィンテージウォッチが「投資対象」として語られる機会が増えました。
価格が上がること。
資産価値があること。
将来性があること。
それらは決して間違ったことではありません。
本当に美しいものは、時代を超えて評価される。
だからこそ、その価値が高まっていくことは、ごく自然なことなのだと思います。
私自身も、その考えを否定するつもりはありません。
ですが、少しだけ寂しく感じることがあります。
いつから私たちは、
「いくらになるのか」
を先に語るようになったのでしょう。
本来、その時計には語るべきものがあるはずです。
職人が費やした時間。
時代を超えて受け継がれてきたデザイン。
一本一本が歩んできた歴史。
そうした背景に心を動かされることが、美しいものと出会う喜びだったのではないでしょうか。
価格は、あとから付いてくるものです。
価値を決めるものではなく、価値の結果なのだと私は思っています。
もちろん資本主義の社会では、それも自然な流れなのでしょう。
だからこそ、美しいものの価格は、これからも上がり続けるのかもしれません。
けれど、その一方で私は少し心配しています。
本当に美しいものに、若い人や、まだ時計を知らない人が触れられなくなってしまうのではないか。
美術館を訪れること。
美しい建築に足を運ぶこと。
心惹かれる車で旅に出ること。
そして、本物の時計を手に取ること。
そんな一つひとつの体験が、人の感性を少しずつ育てていくのだと思います。
本物に触れる機会が少なくなれば、「何が美しいのか」を感じる経験も少なくなってしまいます。
それは、美しい文化そのものが、少しずつ失われていくことなのかもしれません。
だから私は、その価値を価格ではなく、美しさから知ってほしいと思っています。
価値が上がるからではなく、心が動くから手にしたい。
そう思える一本と出会えたとき、その時計はきっと人生の中で特別な存在になるはずです。
美しいものは、誰かの資産になる前に、誰かの憧れであってほしい。
そして、その憧れが、人の感性を育てていくものであってほしい。
私は、そう願っています。


